ゲームはもう飽きた

あれは忘れもしません。 小学校 3 年生の時のある夏休みも近い土曜日、今とは違って昼までの授業を終え、さぁ帰ろうかとみんな下駄箱付近で群がっていたところ、別のクラスの者が 「これからかあちゃんと一緒にゲームを買いに行く」 とかなんとか言うのが向こうのほうから聞こえてきたのです。

“ゲーム” と言っても当時は “テレビゲーム” のことは指しませんでしたから、私は別のクラスとは言うものの全く知らない訳でもなく、かといってあまり話したこともないソイツの近くに言って、なんのゲームなのかと耳をそばだてました。 「テレビに接続して、カセットというのを取り替えて、次から次へと新しいゲームが遊べる機械なんだよ」

そうです。 それは任天堂が出した 「ファミリーコンピュータ」 通称ファミコンのことを彼は言っていたのです。

記憶を辿ると、私はその時点でファミコンというヤツを知らなかったと思います。 事前に知っていればどういったヤツなのか頭に思い浮かべることが出来るハズなのですが、テレビに接続? カセット?? なんかスッげーという程度でしたから。 周りも 「へぇ〜」 と言っている者が多かったように思います。

ところで、ファミコン本体の発売日を検索してみたら 1983 年 7 月 15 日でした。 その日は金曜日ですので、ひょっとして下駄箱付近で立ち聞きしたその土曜日は、発売日翌日の話だったのかもしれません。 そうだとしたら、ソイツの家はかなり裕福というか、理解ある親でかつあたらしモノ好きですね。

それからあっと言う間にファミコンは私たち小学生の間に広まり、友達の家で遊ぶ=ファミコンという図式が確立しました。 クラスの男子でファミコン所有率は 6,8 割くらいあったと思います。 どこの家に行ってもファミコンがありました。

でも、ウチにはとうとうファミコンスーパーファミコンと世代交代するまでありませんでした。 小学生の頃、みんなが持っているという環境の中、親に 「ファミコン買って」 と言えなかったというよりも、言う必要性を感じなかったのです。 なぜならば、友達の家に行けば別にファミコン出来るから。

たまに 「ウチにあったら良いな」 と思わないでもなかったですが、そこまでファミコン一色なわけではなく、友達と外で遊ぶこともあったので 「あー面白かった、また明日〜」 となって充実した一日を終えるのです。

その後 『ドラゴンクエスト』 の II や III や IV が発売されて、クラス中が早解き合戦・情報の授与が朝の挨拶みたいになったときも、友達がクリアしたら本体とセットで借りられることになっていたので、別に焦る事無くゆっくりプレイしてクリアしました。 それぞれ別な友達でしたので、今から考えれば私は恵まれていたと思います。

つまりずーっとウチにはテレビゲームはありませんでした。 時は流れて、高校生になったときにバイトで貯めて自分で買ったメガドライブ*1が我が家初のテレビゲームとなります。 その時は別に今までの分を取り戻すとまでは言いませんが、かなりな数のゲームを買いました。 ドラクエRPG 好きに目覚めた私は、メガドライブ・その後に出たメガ CD の RPG はほぼコンプリートしたほどです。

メガドライブの後*2セガサターンドリームキャスト、中古でスーパーファミコンとハードを買って遊びました。 でも、インターネットの登場とウェブサイトの開設した頃から、パタっとゲームに対する情熱が失せました。 PC 用も含めてありとあらゆるゲームがです。 スタートレックのゲームなんてのも出てますが、これらに対しても全く食指が動きません。

もちろん、大人になって時間がなくなった、その他に楽しいことが見付かったというのもあります。 とにかく、テレビに正対して映ったキャラクターを長時間に渡って操作する、という気力がなくなったのです。 これが歳を取るということなんでしょうか。

*1:買うときになって、メガドライブと PC エンジンとかなりで悩みましたが、その後を考えるとメガドライブにしてよかったなと思えます。

*2:実はみんながファミコンという中、スーパーカセットビジョンなるハードを景品交換で替えて持ってました。 当時はだ〜〜〜れもこのハードを持っていない中、唯一持っていた友達がいて、カセットをよく借りたりしていました。 その彼はスーパーカセットビジョンのゲームカセットをほぼコンプリート所持していました。 と言ってもスーパーカセットビジョンの全タイトル数は 30 本ほどですが。 最後は 2 階から 1 階に運ぶ途中の階段で、落っことしてぶっ壊してしまいましたっけ。